橙織ゆぶね「思春期のまにまに」に刻まれた身体の事情と処女の独白
高架下の落書きみたいに、誰にも言えない秘密を抱えて僕らは生きている。 橙織ゆぶねが描く『思春期のまにまに』を開いたとき、そこに映し出されたのは、あまりに無防備で、あまりに痛切な少女の真実だった。
初めての夜、身体が悲鳴を上げていることは分かっているはずだ。未知の痛みにまだ慣れない異物の感触。けれどその複雑な事情を塗りつぶすように、彼女は「今、セックスをしている」という動かしがたい事実に、形容しがたい快感を覚えていく。その姿を見て僕はかつて出会ったある処女のコを思い出さずにはいられなかった。
彼女もまた、この作品のヒロインと同じように、重なり合う熱のなかで自分が今犯されている事実を、わざわざ言葉にして吐き出していた。
「私、今、してるんだよね」それは単なるエロティックな台詞なんかじゃない。自分の輪郭が他者によって溶かされていく、その残酷なまでの変化を心に刻みつける儀式のようでもあった。
思えば、初体験が早い女の子ほど、こうした剥き出しの心を持っているように感じる。愛を確かめる手段が、言葉よりも先に肌の温もりであったとしても、それを誰が否定できるだろう。快楽の正体は、神経の伝達物質だけじゃない。結局のところ、女の子は心で感じている。どれほど身体が翻弄されようとも、最後に震えるのは魂の奥底なのだ。
思春期という名の、不安定な季節のまにまに。彼女たちが流す涙も、こぼれる吐息も、すべては自分というパズルを完成させるための、欠かせないピースに違いない。この作品は、そんな切なくて歪な、でもどうしようもなく愛おしい女の子の純粋を僕らに突きつけてくる。



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